虚無の泉へようこそ

今日は「死の世界」「死」について自分なりの考えを書いてみようと思う。

 

 

まずは、死の世界について

 

 

 

よく、人は死んだら転生したり天国か地獄に行く話を聞くとは思うが、自分はその世界は少なからずあると信じている人だから、たとえ死んで無になったとしても何処かで自分と言う存在は己で認識出来ていると考えている

だから、天国に行って今まで死んだ仲の良い人と遊んだり生きていた頃の自分と同じ生活を送ったりしている場合もあれば、地獄で絶える事の無い屈辱に犯されながら生きていた頃よりもしんどい場合もある。

そして、転生して誰かの生活の一部になって自分を面白くさせたりする世界線もあるのかもしれない。本当にその世界線があれば死の世界も聞こえがいいように感じる

ただ、現実話としては死んだら虚無の川を永遠と泳ぎ続けるだけの虚しい存在になって面白みの無い世界が待っているのだろう

 

さて、次は死について

 

自分の周りで死んだ人は何人かいるし、前の職場でお世話になっていた人もある日突然死んだり、高校の同級生が死んだ事もあったし、じいちゃんが死んだ事もあった。

 

前の職場でお世話になった人はうちの両親より若かったし死ぬ間際まで普通に元気だったから、話を聞いた時は言葉を失った

 

死んだ高校の同級生はクラスで一番明るい人でスクールカーストの上位に入る人だったんだけどね。

 

じいちゃんが死んだときは棺に入っている姿を見て不思議な感じがした。

葬式終わって火葬場行って骨になったじいちゃんを見て、これが死なんだと実感した。

数年前に認知症になって暫く会っていないかったんだけど、認知症になる前はじいちゃんと一緒に暮らしていたから、屯田兵についての話を聞いたりして凄く楽しかった記憶がある

 

自分は死にたいと思う事が全く無いと言ったら嘘になるけど、極稀に辛くて何もかも嫌な時があるときはそう考える事もある。

ただ、人間どう頑張って足掻いても死ぬんだし、生まれてきた以上どんなに辛いことがあってもこの理不尽に満ちたどうしようもない世界に対して何処まで悪足掻き出来るかだと思う。

そういう風に考えて生きたら案外死にたいっていう気持ちは息を潜めるものだと。

幸い、自分の周りには良い人に恵まれているし、バンドもやったりしているから刺激的な世界が広がっていて、人生というのを謳歌している。

 

とどのつまり、人の死生観というのは十人十色であって自分の考えは以上である。

右往左往した文章で失礼する